造形という美を極め、継承する
宮内庁御用窯元
妙泉陶房 山本篤
宮内庁御用窯元・妙泉陶房の代表であり、職人であり、作家でもある山本篤氏。篤氏が代表を務める妙泉陶房は、知る人ぞ知る窯元で、全国にたくさんのファンがいます。
毎年、確実に業績を残す優良な窯元で、常にクオリティの高い器を世に出し続けています。器それぞれの造形は圧倒的な存在感があり、美しい。さらに食器なら料理を、花器なら生けた花木を見事に引き立ててくれます。その道のプロたちも、妙泉陶房の器には一目置いているとか。
今、九谷焼業界は、けして順風満帆という訳ではありません。
どのような舵取りをして妙泉陶房が荒波を乗り越えたのか、そしてこれからの未来へ漕ぎ出そうとしているのか、お話を伺いました。
伝統の技術を守ることで
妙泉陶房は生き残れた
1975年に師匠のもとから独立し、妙泉陶房を立ち上げた篤氏。
「私の兄(山本長左氏)が絵付けを、私が成形を担当。今も創業当時と変わらず、土づくりから釉薬の調合、素地、染付、上絵付けと、すべて自分のところでやっています。
特に他と違うのは、型打ち技法という昔ながらの技法で器を作っていること。機械化が進んで、この技法自体がなくなりつつあります。すごい技法なのに、もったいない。この技法がなければ、うちの陶房は生き残っていなかったかもしれない。型打ちだからこそ、全国に出してもインパクトのある造形が叶い、さらに釉薬や絵付けで独特の雰囲気をまとわせることで、うちならではのオリジナリティを出せています」。
妙泉陶房が受け継ぐ希少技法
型打ち技法とは
型打ち技法とは、ロクロで成形したものを型の上に載せて、型の模様や造形を写し、素地を作り上げる技法のことです。
「ところが、この型打ちは、手仕事による確かな技術がないとできないんです」と篤氏。
まずロクロ技術。
「ロクロでは、均一な厚さでひく必要があります。厚さにムラがあると、焼いた時に割れたり、ヒビが入ってしまう」。
この均一な厚さで引くこと自体が難しい上に、妙泉陶房では、厚さを均一に保ちながら、さらに極限まで薄く引いているのだそう。
「厚みがあると型を写したとしても美しくない。美しく仕上げるためには、薄くないと」と、こだわりを話してくれました。
ロクロ成形した素地に型を乗せると、生地は型のサイズにピッタリとおさまった。
素地を乗せた型をひっくり返してロクロへ。ロクロを回転させながら、型に素地を押し付けます。ここでも厚みが均一になるよう、力加減を一定する必要がある。繊細な手作業。
続いて、ハケで型の模様をなぞっていく。これも簡単そうに見えて、難しい。
薄い素地なので、さらにここでも力加減は重要。なぞる力が一定でないと、厚みにムラができ、歪みや割れの原因に。
ふちまわりを型に合わせてカット。優美なふちまわりに。
最後に削りの作業で高台を仕上げる。
ようやく1枚の素地が完成する。
篤氏いわく
「型打ち技法は、一定の力加減が必要となり、手仕事の技術を磨かなければなりません。技術が必要で、手間暇がかかるため、この技法を行う窯元や陶房は、全国的に数を減らしてきている。でもうちは、この型打ち技法を守り受け継ぎ続けることで、生き残っていけたし、これからも生き残っていけると確信しています」。
釉薬をかけて焼成した器
型打ち技法の魅力
生産性とクオリティ
「型打ち技法を型と技術があれば、同じ形状、厚み、大きさの器を機械ほどではないですが、たくさん作ることができます。
一方で型打ち技法なら、機械ではできない薄さ、形状の器を作ことができます。
細かい複雑な造形は機械には難しい。
しかし型打ちは、手仕事。絶妙な力加減で、複雑なカタチの型からクオリティの高い器を成形することができる。それが型打ち技法にこだわる理由であり、魅力です」。
メーカーの代表としても型打ち技法は魅力的なのだそう。
「質の良い器をたくさん作れるということは、大量の発注にも応えられるので、メーカーとしての強みにもなりますからね」と篤氏。
「それにね、型さえあれば、何十年後、何百年後でも同じ器が作れます。逆に、うちには200年前の型があるのですが、その型を使えば、200年前の器を蘇らせることができるんですよ。
面白いよね」。
篤氏の背景の棚には様々な道具と共に、型も並ぶ
確かな手仕事の技術で
100年後も200年後も続いていく
これからの妙泉陶房についても伺いました。
「私たちが立ち上げた陶房ですが、実は概ね専務(息子の高寛氏)に移行しています。でも自分の代と息子の代で、妙泉陶房の技術は変わっていない。同じ技術で製作し、今まで通りの信用を得ています。時代が変わろうと、守べき技術は守っていってもらわないとね。
篤氏の奥が高寛氏
何十年後も同じ技術で、同じクオリティを維持していってもらいたい。
また、技術はもちろんのこと、これからの九谷焼を担う人材を育成するのも、大切な務めだと考えています。自分の代だけでOKというわけにはいかない。常に弟子をとり、自分の技術を受け継いでもらい、そして職人として九谷焼の業界で食べていく術を伝えていかなければならないと思っています。
100年後も200年後も、この九谷焼の技術が残り、九谷焼を担う人材を育成し続ける陶房でありたいです」。
これからを担う
九谷焼の若手作家や職人への思い
自身の陶房でも弟子を迎え、さらに石川県立九谷焼研修所でもその技を教え伝えている篤氏。
九谷焼技術研修所での講義の様子
「九谷焼で食べていく上で重要なのは、生産力。作家による個性や特徴は大切ではあるけれど、一番ではないと僕は思う。
お客さんや問屋さんから「この皿とこのコップを各◯個ずつほしい」と言われた時、対応できないとね。だから若手の子たちには、同じものを作れる技術を磨いてほしい。「これだ!」という作品ができたなら、同じ作品を20や30、50作れるようになってほしい。数が作れるなら、小売や問屋があつかってくれる可能性が高くなるから。
作り手の生産力と、小売や問屋の販売力がセットになって初めて大きな利益につながり、業界が発展していくと考えています。
だから、繰り返しになるけど、技術を磨いて、生産力を上げてほしい。そして、九谷焼の業界を盛り上げてほしいです」。
九谷焼の器を
自由に楽しんでほしい
九谷焼好きの方たちにメッセージを篤氏にお願いすると、展示会でのエピソードをお話ししてくれました。
「以前、東京の展示会で私の作品(抹茶碗)を購入された方が『この抹茶碗でお茶漬けを楽しむの』と嬉しそうにおっしゃられて。
抹茶碗だからと言って、お抹茶以外で楽しむのもありなんです。器を手にして笑顔を見せてくれたこと、そしてその方の日常に私が作った器を使ってもらえることが、素直にうれしかったですね。
九谷焼を手にされて、それをどう使うかは自由。器として使うのか、装飾として、鑑賞して楽しむかは人それぞれ。ただ、職人として、作家として、自分が思うのは、その方の生活が豊かになってもらえたら、それでいいなぁと思っています」。
陶歴
1975年 妙泉陶房開窯
1990年 宮内庁より依頼を受け 天皇皇后両陛下 御紋入器を製作/即位の礼「饗宴の儀」に使用の食器七品目を製作
1991年 皇太子徳仁親王の立太子礼に使用される 御紋入器を製作/宮内庁「饗宴の儀」和食器十一品目を納入
1992年 秋篠宮家内親王眞子様 内祝菓子器製作
1993年 皇太子様 雅子様 御成婚「饗宴の儀」に使用のオードブル皿製作/皇太子妃雅子様 御紋入器を製作
1995年 秋篠宮家内親王佳子様 内祝菓子器製作
2000年 日本国政府より依頼を受け国際度量衡局へメートル条約125周年記念の白磁金襴手大皿を製作
2007年 秋篠宮家 悠仁様 内祝菓子器製作
2010年 石川デザイン大賞 受賞
2013年 宮内庁より依頼 盆栽鉢古鏡形製作 以後、毎年製作
2014年 九谷焼伝統工芸士会 会長就任
2016年 加賀九谷陶磁器協同組合 理事長就任/経済産業大臣功労者表彰受賞
2017年 第20回日本伝統工芸士会作品展 最高賞 衆議院議長賞受賞/平成29年度全国伝統的工芸品公募展 最高賞 内閣総理大臣賞受賞
2018年 第2回 三井ゴールデン匠賞受賞
2019年 宮内庁より依頼を受け、令和天皇皇后両陛下御紋入器を製作
2020年 秋篠宮殿下妃殿下神事用器を製作
2021年 日本伝統工芸士会 副会長就任