藍古九谷を思わせる美しい染付
宮内庁御用窯の絵付師
山本長左
鮮やかな色絵が主流の九谷焼において、藍一色で多くの人を惹きつけ魅了する山本長左氏のうつわ。高い技術と卓越したセンスで、唯一無二の存在感を放っています。
今回は、山本長左陶房にお邪魔し、お話をうかがってきました。
染め付けているからこその
深い味わい
宮内庁御用窯の絵付師としても名を馳せる山本長左氏の絵付技法は、言わずもがな染付です。
染付は、素地(きじ)に呉須という顔料で描いていきます。長左氏いわく、描くというより、呉須で素地を染めている感覚に近いのだとか。
染めるという感覚。これは、色絵と染付の工程を見るとわかりやすいかもしれません。色絵は、素焼きした素地に、釉薬をかけて焼成したものに絵付けをします。釉薬は焼くとガラス質に変わる、つまり素地はガラス質でコーティングされているため、色絵具は素地に乗っているだけで、染み込んではいません(絵付け後、焼成することで色が定着)。
一方、染付は素焼きの素地に直接、描いていきます。ガラス質でコーティングされていないので、呉須は素地に染み込みます(呉須で絵付けした後、釉薬をかけて焼成。つまり呉須絵ごとガラス質でコーティングされる)。
チョコレート色だった呉須は、焼成すると鮮やかな藍色に変わります。
細い筆で描かれる線は強弱があり、またダミと呼ばれる専用の太い筆で面を埋めるように描いている部分もその濃淡を使い分けることで、藍一色でも豊かな表現を可能にしています。
美しく染め付けるための
工夫と手間
「私は呉須に、九谷焼の素地の原料である粘土も混ぜています。
九谷の粘土を入れた呉須と九谷の粘土で焼いた素地は、親和性が高い。つまり、呉須がスーッと素地に馴染み、うまく染め付けられる。焼き上がると馴染んでいる分、美しい焼き上がりになります。料理で言うと『コクが出る』って感じかな」と長左氏。
しかし、呉須に粘土を混ぜると呉須自体ざらざらして、描きにくくなるのでは?
「そう、ものすごく描きにくくなります。
でも描きにくさをカバーするために、うちの呉須はよーく擦る。空気を入れながら、茶渋を加えながら。
少しでも描きやすくなるように、そこは労を惜しみませんね」。
そもそも素焼きの表面はざらざらしていて描きにくい。その上、よく擦っているとはいえ粘土を混ぜた呉須で描くのは、やはり大変なのではと思いつつ絵付の様子を見せてもらいました。ただただ、その技術の高さに脱帽です。
長左氏はさらさらと筆を動かし、極細の線が見事に染め付けられていきました。それはもう、見ていて気持ちが良いくらいに。
呉須描きしている様子はこちら(九谷焼 山本長左の娘 インスタグラムより)
使ってくれる人が
幸せになるようにと願いを込めて
長左氏のうつわは、松竹梅やおめでたい絵柄、青海波(せいがいは)に紗綾形(さやがた)、籠目(かごめ)などの吉祥紋を絶妙に組み合わせて描かれています。
中央に松竹梅が描かれた鉢皿
丸枠に、青海波、瓢箪、亀甲紋。どれも縁起が良い
「吉祥紋や縁起の良い柄を描くことで、
『良いことありますように、幸せでありますように』って毎日使う食器に込めている。刷り込みみたいなもの。
それで使ってくれる方が幸せになれたら良いじゃない、ね」と長左氏。
描かれている
動物たちも可愛くて愛しい
長左氏のうつわの魅力的なところは、古典的でありながらもモダンで、時に可愛らしい。特に動物たちは愛しくなるほどです。
「動物は、目と口と足先に気を配っています。自然と目がいくところだから適当には描かない。
人でもそうだと思うんだけど、手先や足先の所作が美しいと魅力的に映るもの。それと一緒で、手先、足先を丁寧に描くと魅力的になるんです。
あとは目線。
基本的に目線は上を向いています。鳥なんかは特にね。
だって、下を向いているより、上を向いている方が気持ち良いでしょ?」。
長左氏のうつわは眺めているだけでも楽しい。
線の雲、模様をあしらった雲。どちらも印象的
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使ってこそ引き立つ
染付のうつわ
藍一色でありながら、華やかさもある長左氏のうつわ。びっしりと描き込まれたものもあれば、余白を残しつつも緻密な文様と構図で魅了するものも。
丸枠の1つに山水を描いているのがお洒落
九谷焼 山本長左の娘インスタグラムより
それでいて、ひとたび盛り付ければ、ぐっと料理やスイーツを引き立ててくれます。
「うつわはね、主役ではないのです。あくまでも料理を引き立てる道具。
私のうつわの場合、色は料理がつけてくれます」と長左氏。
常にアンテナをたてて
ニーズを探る
「どんなものを人は欲しいと思うのか常にアンテナを張って、ニーズを吸収するようにしています。
デパートに行ったら家具や暮らしのアイテムが売られているエリアをチェックしたり。売れ筋がちゃぶ台からダイニングテーブルに変わったりして時代が反映しているから」。
洋の雰囲気にも、長左氏のうつわは素敵に馴染みます。
「デパ地下の惣菜のラインナップを見て、それに合ううつわを考えたり、今は冷凍食品も豊富。それをどんなふうに食べるか、盛り付けるならどんな皿が良いかを想像したりもしますね」。
九谷焼で
あえての染付で勝負
なぜ長左氏は染付を技法に選んだのでしょうか?
「私が九谷焼の世界に入った50年前は、色絵が全盛。その頃の染付は、色絵のおまけみたいなものでした。色絵が主流の中、色絵で戦っても難しい。だったらあまり誰もやってない染付を突き詰めればオンリーワンになれると思ったんです。
それに染付は、自分の特性に合っていた。子供の頃から絵は好きでよく描いていたけど、線で描いた下絵の段階ではすごく褒められるの。でも、そこに色を塗ると、、、まぁまぁの評価に下がっちゃう(笑)。
でもね、天職ってそんなものなのかもしれない。自分の特性を考えて、自分の得意なことを活かして、仕事をしているんだと思う」。
色を塗るとまぁまぁ…とおっしゃっていましたが、色絵の作品も素敵です。
長左氏の手にかかれば、色絵は染付を引き立てるアクセントになります。
宮内庁御用窯になったきっかけとは?
平成2年に宮内庁の依頼を受け、即位の礼で使用する食器を作成。それを機に、宮内庁から定期的に依頼をいただくようになったそう。さて、最初の依頼のきっかけとはいったい、なんだったのでしょうか。
「人間てね、一生懸命にやっていると不思議と助けてくれたり、引き上げてくれたりする人が現れる。
それが私にとっては日本橋高島屋の部長さん。その方は、若いのに頑張ってるっていって、私のうつわを置いてくれて。その方の後任の方も変わらず応援してくれた。おかげで少しずつお客さんがついてくれるようになったんです。
平成に入り、即位の礼「饗宴の儀」に使用されるうつわが和食器に決まり、宮内庁の御用聞である高島屋さんが、私たちにも声をかけてくださったんです。『即位の礼の和食器のコンペに出してみるか?』って。コンペといっても、すでに実績のある5社は決まっていて、そこにうちを加えてもらったカタチです。でもそこからが正念場でした」と長左氏。
声をかけてもらったからには、最高のものを!とコンペに出すうつわ作りには力が入る。そこで試作を繰り返すこと10回以上。 ようやく『これだ』という納得いくものを作り上げ、コンペに出品したそう。
「それが最後まで審査に残って、選んでいただけました」と長左氏も振り返る。
長左氏は20歳を過ぎた頃、独立し工房を立ち上げた。弟(山本篤氏)も加わり、真摯に茶碗作りに取り組んだそう。
「近所の人には、変な兄弟って言われていた(笑)。盛況だった九谷焼業界もかげりが見えている時代だったから、茶碗作って生計を立てられるの?って感じだったんでしょうね。
実際、お金はなかった。けれど一生懸命に技術を磨いた。そしたら見てくれている人がいて、引き上げてくれる人がいて、九谷焼の業界でも助けてくれる人がいて。それが回り回ってお客さんとの縁を繋いでくれたし、宮内庁とのご縁も結んでくれたんだから、ありがたい。感謝しかないです」。
苦楽を共にしてきた奥様とのツーショット
宮内庁の最初の依頼の頃、周囲の方から言われた言葉を今も心に留めているそう。
「『調子に乗ったらいかん。見限られるぞ』と言ってくれて。本当にそれで調子に乗ったらダメなんです」。
謙虚にしておごらず、実直に、日々長左氏は茶碗作りに励みます。使う人の幸せを願いながら。
・・・
陶歴
平成2年6月
宮内庁より依頼を受け 天皇皇后両陛下 御紋入器を制作
平成2年10月
即位の礼「饗宴の儀」に使用の漆器を含む全和食器の菊花デザイン食器7品目を制作
平成3年4月
宮内庁「饗宴の儀」和食器11品目を納入
平成4年2月
秋篠宮家眞子様 内祝菓子器制作
平成5年5月
皇太子様雅子様 御成婚「饗宴の儀」に使用のオードブル皿制作
平成5年11月
皇太子妃雅子様 御紋入器を制作
平成7年6月
秋篠宮家佳子様 内祝菓子器制作
平成12年10月
日本国政府より依頼を受け 国際度量衡へメートル条約125周年記念の白磁金襴手大皿を制作
平成19年10月
秋篠宮家悠仁様 内祝菓子器制作
平成25年7月
宮内庁より依頼を受け 家鶏図盆栽鉢制作
平成26年3月
宮内庁より依頼を受け 松竹梅盆栽鉢制作
平成27年3月
宮内庁より依頼を受け 金襴手蘭鉢制作
平成28年3月
宮内庁より依頼を受け 青華鶴に七宝紋蘭鉢制作
平成29年3月
宮内庁より依頼を受け 青華金彩鳳凰の図蘭鉢制作
令和元年10月
天皇皇后両陛下 御紋入器を息子と共に制作
即位の礼「饗宴の儀」に和食器6品目が平成に続いて継続使用される
令和2年11月
宮内庁「立皇嗣の礼」に使用の器を制作
令和4年5月
春の叙勲 瑞宝単光章を受ける