手がける職人は2人のみ。
流麗な文字によるデザイン美
九谷毛筆細字とは、和歌など日本の古典文学を極細の毛筆で書く技法です。
世界的に見ても珍しく、かつ九谷の地でもその技法を今に受け継いでいるのは親子でもある田村敬星さんと田村星都さんの2人だけ。今回は、田村星都さんの工房にお邪魔し、お話を伺いました。田村星都さんの作品を通して、毛筆細字の特徴や魅力を見ていきましょう。
整然と並ぶ万葉仮名の美
星都さんが手がけた手のひらサイズの香炉。その側面には、古今和歌集の春を題材にした和歌がびっしりと書かれています。和歌は万葉仮名で書かれていて、1つの文字の大きさはほんの数ミリ。小さな文字を書き連ね、上から下へ、歪むことなくまっすぐに。何行も何行も整然と綴られています。しかも1行に1首。
1首ごとに文字数は異なるはずですが、行の始まりと終わりの文字は、どの行もピタリと同じ高さに揃っています。書きながら文字の大きさを感覚で調整して揃えているという。毛筆細字が超絶技巧と称されるのも頷けます。
毛筆細字という技法の始まり
九谷焼が全盛だった明治期。他との違い、特徴を出すため、絵を施すことのなかった見込み(器の内側)に文字を書いたのが九谷毛筆細字の始まり。初代・小田清山は自分にしかできない技として、もっと細かく、もっと美しくと、細字の技を突き詰め、毛筆細字という技法を構築したそう。その後は一家相伝の技として、田村敬星さんが3代、田村星都さんが4代として受け継いでいます。
星都さんの洋杯の作品。チラリと杯の見込みに書かれた万葉仮名が見えます。
器を傾けたときに見える芸術。粋です。
さらさらと流れるように書かれた万葉仮名。「最も美しい書体が万葉仮名だと思っています」と星都さん。
器は特別な何かで固定することなく、普通に手にとって、筆を走らせるそう。小さな盃の内側を器用にまっすぐに、和歌が綴られていきます。
習字か何か習っていたから美しい文字が書けるのですか?と星都さんに聞くと、意外な答え。「書道と毛筆細字は、全くの別物」なんだとか。
書と似て非なる毛筆細字
毛筆細字ではマンガンといった顔料を含む釉薬を用いて、器に文字を書くのだそう。この釉薬が、なかなかの曲者。粘り気があり、「はね」や「はらい」、曲線などを滑らかに書くのはとても難しく、習字の感覚で文字は書けないという。
でも作品を見ると、さらさらと文字が書かれているように見えるのですが…。
答えは簡単、“そう見える”ように書いているから。独特の書き方・書き順で書いて初めて、流麗な文字となり、器で表現できるそう。
一筆書きできるはずの文字『の』
『の』は、一筆書きで簡単に書けるひらがなです。でも粘り気のある釉薬では、そうはいかないとか。普通、文字を書くときは上から下へと筆を運びますが、毛筆細字は逆。下から上へと筆を運び、何回かに分けて、ようやく『の』の文字が完成するそうです。
毛筆細字では、独自の書き方を覚え、粘り気のある釉薬の扱い方を身につけなければならない。器にさらさらと流れるような万葉仮名を書けるようになるには気の遠くなるような鍛錬が必要だったそう。
また、星都さんは上絵も習得していて(初代は、上絵職人が絵付けをした器に毛筆細字を手がけていたそう)、自ら絵付けを施して作品に仕上げています。絵付けと万葉仮名のバランスや魅せ方にも注目して、作品を見てみましょう。
デザインとしての万葉仮名の魅力
こちらは、ウミウシをデザインした香合。桜と水玉が描かれ、そして1つの水玉に万葉仮名で和歌がつらつらと綴られています。ポップになりがちな水玉も、優美な万葉仮名をアクセントとして取り入れていることで、ウミウシもなんだか雅に見えてくるから不思議です。
古今和歌集が書かれた香炉です。これだけ文字が並べば威圧的になってもおかしくないのですが、やはりそこは万葉仮名。字が小さくて読めないとはいえ、万葉仮名の柔らかな書体は、作品にはんなりとした雰囲気をまとわせています。
ダイレクトに意味が伝わる現代文とは違い、読みにくい万葉仮名、そして現代語訳がないと理解しにくい和歌だからこその趣があり、書体の持つ優雅さを味わえます。
読めないから良い。
でも読めたら楽しい。
デザインとして楽しめる万葉仮名ですが、書かれている和歌の意味を知ると、さらに興味深くなります。
再度、ウミウシの香合を見てみましょう。こちらには、
「久方のひかりのとけき春の日にしづ心なく花のちるらむ」
など、春の和歌が書かれています。だからウミウシに桜が描かれているのかと合点がいき、和歌の意味に思いを巡らせると、さらに作品が魅力的に感じられて面白いのです。
同じ水玉でもこちらの盃では、秋の水面を表現したそう。
書かれている和歌は
「ちはやふる 神代もきかす 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」
竜田川が紅葉で真っ赤に染まっていると、秋の美しい情景を歌った和歌。そしてその情景が器にデザインされています。
気に入ったデザインに、和歌は別の、つまり自分のお気に入りの和歌を書いてほしいとオーダーされることもよくあるのだそう。
また、和歌はさまざまなシーンを歌っているので、贈り物の用途に合わせて和歌をセレクトできるのも魅力なんだとか。例えば春生まれの方へのプレゼントなら、春を歌った和歌をセレクトしたり。
こちらは長寿のお祝いに。
宝船の絵付けとともに、長寿や繁栄を歌った和歌が書かれているそう。
右の大きな文字で書かれているのは、
「わたつみの 浜の真砂を 数へつつ 君が千歳の ありかずにせむ」
長寿を歌った有名な和歌です。
新たな魅せ方
器の表面に書かれる毛筆細字は、基本的に、極小の文字を限られた枠内にムラなく、均一に書くのが技の見せ所と星都さんは話す。
一方で「それだとデザインが限定されるし、動きがない」とも感じていたそう。ならばと挑戦したのが、このデザイン。
和歌をラインのように交錯させています。今までにない毛筆細字のあしらい方。遊び心溢れる作品に、毛筆細字ファンからも「こんなの見たことない!」と好評だったそう。
器を和紙のように。
オリジナルの釉薬を開発
そんな星都さんの挑戦心は、釉薬開発にもおよんでいます。完成した釉薬を器にかけて焼成すると、和紙のような風合いに。「器を和紙に見立てて、平安時代のように文字を書いてみたい」という発想から生まれたのだそう。
長皿は、短冊をイメージ。
こちらは色紙を彷彿とさせるプレート。
「華やかな上絵の九谷焼もステキですが、色や模様(絵)は入れず、文字だけが入った器です。シンプルな分、盛り付けの際、料理ともケンカしない」と星都さん。実際、料理屋さんでも使ってもらっているそう。
星都さんの新たな取り組みは他にも。
英字の作品も登場
こちらのぐい呑には、英国の童謡『マザーグース』の一節が書かれているそう。
万葉仮名の流れるような書体にならって、英字も筆記体で書かれているのかと思いきや、あえてのブロック体。毛筆細字の無限の可能性を感じます。
一生の仕事として選んだ
九谷毛筆細字
細字師として、その技術を受け継ぎながら、新たな創作のチャレンジも続ける星都さん。そんな星都さんが父である3代・田村敬星さんの跡を継ごうと決めたのは24歳の時だったそう。それまでは跡を継ぐつもりはなく、大学に進学し、その後は東京で営業職に就いていたのだとか。仕事は楽しかったが、一方で、自分にとって一生の仕事とは何か、仕事で何を残せるのかと自問自答の日々。いつか起業したいという夢もあり、開発の勉強をしていく中で、漠然と「家業の仕事も、ある種の開発をしているのでは」と気づいたのだそう。
気づきは他にも。思い起こせば、学生時代の留学先でのこと。「海外にいると、『どこから来たの?どういうお家?』と自分のことやルーツを聞かれることが多くて。実家が九谷焼をやっていて父が細字師と話し、父の作品を写真で見せると『すごい』といった反応が返ってくる。毛筆細字は、生まれた時からあるので、私は見慣れていて。でも言葉も文化も違う海外の人たちを「すごい」と思わせる、そんな毛筆細字を見直しました。外に行けば行くほど見えてきたのが、家業の良いところだったんです」と星都さん。
父であり、師匠である田村敬星さんの作品
「修行を始めて、20代の頃は悩んでばかり。上手く細字は書けないし、文字を器に入れる意味を見失っていたりして、後ろ向きな感情になっていましたね。自分なりに上手く細字が書けた作品を『文字がなかったら買ったのに』と言われたことがあって。その時は、さらに落ち込みました。でも一方で、上絵と文字が調和していないんだとなんとなく気づいたきっかけにもなったんです」。
そこから星都さんの毛筆細字の世界がぱっと開けた、というわけではなかったそう。
「そこはもう『筋トレ』みたいなものですね。毎日、毎日とにかくやる。書く。やり続け、書き続けた分だけ技術は身に付く。繰り返しやり続けるうちに、上絵と文字の調和や、文字の持つ重厚感の出し方、おさえ方などの感覚も掴んだように思います」。
「今は細字師として、窯の代表として、悩みはありますが、それでも20代の時に感じた細字に対する後ろ向きな感情は無くなりましたね(笑)」と星都さん。そして「死ぬ時が、細字師としてのピーク」とも語る星都さんは、日々、その技を磨いています。
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