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九谷茶碗まつりとは?


九谷茶碗まつりとは?

来場者数は毎年18万人以上という大規模な九谷焼の陶器市です。人気の窯元や卸商社はもちろんのこと、作家本人が出店するなど、多彩な九谷焼が多数、集まります。しかもお値打ち価格で九谷焼が手に入るということで、毎年、多くの人で賑わいます。

 

まつりの魅力

まつりでは、高額品や1点もの、B品・訳あり品など、さまざまな九谷焼が豊富にラインナップ。お目当ての窯元で掘り出し物を手に入れたり、初めましての窯元・作家の九谷焼とも出会えるチャンスです。また、B品・訳あり品も、自分の目でチェックして納得して買えるのも魅力です。

 

まつりの成り立ち

九谷茶碗まつりは、九谷焼中興の祖と称される2人の名工を偲ぶ慰霊祭が起源と言われています。斎田道開(さいだどうかい)は明治後期に、九谷庄三(くたにしょうざ)は大正時代に神社で祀られ、各神社の境内や周辺で行われていた慰霊祭が脈々と受け継がれ、今では一大イベントともよべる人気の陶器市となりました。

斎田道開

江戸時代後期、再興九谷窯の若杉窯にて赤絵や彩色法を学び、さらには諸国で修行・遊歴してその腕を磨き、のちに郷里の能美市佐野で「佐野窯」を開いた。産業化を進めるために、上絵付けと素地製作の分業を早くから提唱し、産業九谷の草分け的存在。大勢の門人も育てた。1868年、没後、狭野神社に祖霊社が建てられる。その後、祖霊社が「陶祖神社」に再建されてからは慰霊祭が行われるようになり、それが今の茶碗まつりの起源に。

赤絵龍鳳凰百老図深鉢

佐野赤絵の祖とも称される斎田道開の作品。能美市九谷焼美術館 「五彩館」 所蔵で、展示されています。

 

九谷庄三

明治時代に活躍した九谷庄三。古九谷以来歴代の色絵加飾の画風様式と西洋絵具の中間色を合わせて使用した「彩色金襴手」を編み出し、その作風は、明治の貿易品として海外でも人気に。明治期の欧州で起こったジャパンクタニの中核をになっていた。多量の需要に応えるため、分業化の技術と能力を向上させた功績は大きい。1883年に死去。その後1921年に庄三記功碑が奥野八幡神社内に建てられ、それを記念し「庄三まつり」が始まり、今の九谷茶碗まつりに通じている。

龍花卉文農耕図盤

九谷庄三の最高峰とも言える、第1回内国勧業博覧会(明治10年)に九谷庄三が出品した作品。こちらも能美市九谷焼美術館 「五彩館」 所蔵で、展示されています。

 

お買い物のあとは美術館で九谷焼鑑賞・絵付け体感

茶碗まつりのメイン会場の1つである九谷陶芸村には、隣接する九谷焼の美術館や、九谷焼の絵付けが叶う体験館もあります。お買い物を楽しんだあとは、斎田道開や庄三をはじめ、古九谷、再興九谷、近代九谷といった作品を堪能したり、九谷焼の上絵体験に没頭したりするのもおすすめです。

KAM 能美市九谷焼美術館サイトはこちら


九谷茶碗まつり2022イベントレポート